もみの木 〜O Tannenbaum〜

切っ掛けは本当にごくありふれた日常にあった……。
 4月、大森弘子は野谷橋中学の3年生になった。いつものように通学路を歩く。ショートボブの髪がそよ風に揺られる。膝より少し上のスカートとブレザーが歩くリズムと一緒に動いた。みんないつも通り。只違うのは3年生になった事とクラス替えがある事と、そして3学期の終業式の時より大分暖かくなった事だった。
「3年……1組、2組、3組。3組か」
校門をくぐり昇降口に行くと、そこに新しいクラスが貼り出されていた。模造紙に手書きで書かれていた。今は模造紙に印刷出来るインクジェットプリンタがあるのだから、それを使えばいいじゃないかとも思うが、手書きも悪くはなかった。弘子の出席番号は女史の3番だった。昇降口に入ると茶色い木の下駄箱が各クラス毎に並んでいて、何処の場所に誰という具合に名札が付いていた。最近は金属やプラスチックの下駄箱もあるが木の方が趣があっていいかもしれない。
 野谷橋中学では靴の指定はしていなかった。スニーカーでも革靴でもどちらでも良かった。生徒手帳には"中学生らしい靴で"とスニーカー、革靴共に図付きで解説してあったが……。弘子はスニーカーだった、というより、殆どの生徒はスニーカーだった。しかし、弘子は自分のスペースの左の生徒が革靴で来ている事に気付いた。出席番号順に左上から右へ男子が1番から5番、女子1番から5番、そして男子の1番の下に男子6番、そして右へ10番まで、続いて女子の6番から10番、3段目以下同様となっている為、革靴で来ている人は弘子の出席番号の前、つまり2番だった。
 上履きに履き替え教室に向かった。昇降口から見て左側に階段があった。その階段を上って2階が3年生の教室で階段から出て左に行くと1組、2組と続き5組まであった。3階は2年生、4階は1年生の教室があり並びは同様である。弘子は3組なので2階の階段から見て手前から3つ目の教室だった。
廊下は白いタイルで敷き詰められていてワックスが掛かっていた為綺麗だった。教室側の壁、天井、外側の壁も白で塗られていた。壁の塗装が新しく、春休み中に塗られた感じがした。白一色で統一されている廊下だが、床のタイルは全部が白ではなく中央は茶色いタイルになっていて、右側通行を励行したいという意図が見られたが、誰も気にしている様子は無かったし、実際弘子も廊下の真ん中を歩いていた。
 扉を開けて3組の教室に入った。クラス40名のうち、半数位は既に来ていた。女子の制服はブレザーにスカートだが、男子は詰襟だった。その男子達は小さな集団を作っていた。一方女子は、やや大きな集団を作っていた。彼女達は弘子の知らないところだったがテニス部だった。その集団から外れ、窓側から数えて2列目で前から2番目の席について誰とも話していない女子生徒がいることに気付いた。外側が湾曲して端の席からでも見えるように工夫されている黒板(いや、本当は緑板と呼びたい位緑が濃いのだが……)には大きく席順が示されていて、それを見ると、その女子生徒が革靴で登校してきた生徒だと分かった。身長は弘子は165cm位あり、やや大柄なのだが、座っている姿を見ただけで弘子より大柄で170cm位はあるのではないかと思えた。髪型は肩より10cm位下まである黒髪の綺麗なストレートだった。表情は、彼女は外を見ているため分からなかった。服装は生徒手帳に示してある見本絵のようにきちんと着ていた。勿論、弘子や他の生徒のようにブレザーの前ボタンを外したりスカートを短くしたりはしていなかった。
「友達とクラス、別れちゃったのかな……?」
彼女が誰とも話さない様子を見て弘子は思った。弘子自身、2年生時までの友達とクラスが離れてしまい、この新しいクラスには親しい人が全くいないどころか、殆ど未知のクラスなので、彼女を見て単純にそう思ったのだった。弘子は席順をもう一度確認して彼女の後ろの席について声を掛けた。
「私は大森弘子、宜しくね。あなたは?」
すると彼女は振り向いて、
「伊藤裕子。はじめまして」
と返した。その声は弘子の張りのある声に対して少し暗めのハスキーボイスだった。顔は、さっきは分からなかったが、今こうして向かい合うと裕子は……、やや切れ長だが、キツイとまでは行かない感じの目、眉毛も太過ぎず細過ぎず、鼻は平均より高めで口元はきゅっと締まった感じのはっきり言って美人で、(地味で)落ち着いたアイドルみたいな顔立ちの弘子とはまた違った。

 この日はあまり多くを話さなかった。弘子も裕子もお互い初めてだったので話し辛いというのもあった。しかし、1週間経った頃には打ち解けていた。とは言え、2人共口数が多い性格ではないので一緒にいても殆ど話さない時もあったが……。

 3年になって1ヶ月が過ぎGW。弘子も裕子もお互いの家にはまだ行った事が無かったのだが、裕子に呼ばれたので行く事にした。弘子の家は学校から大通りに出て東に1km程行き、南北に伸びる側道を北に100m程行った所で、裕子の家は学校から大通りに出てすぐに小道があるのでその道を南へ行き、曲がりくねった道を通りながら坂を下り、川の近くまで行った所にあった。その為結構な距離だった。
 弘子は半袖シャツの上にジャケットを着、下はキュロットにスニーカー、そして黄色いベレー帽を被り、マウンテンバイクを出し、裕子の家に向かった。晩春というか初夏の日差しは強烈で角度も高く、マウンテンバイクに乗って進む弘子の真っ黒な影を真下に落した。
大通りは桜並木で、始業式の日は満開だったが今はすっかり葉桜になり、所々に熟する事が出来なかった実が落ちていて踏む毎にパキッと音を鳴らした。桜並木はそよ風に葉を鳴らし、頬に当たる風は気持ちよかった。
 学校傍まで来て、裕子の家に向かう小道に入ると今度は住宅地だった。住宅地の中を突っ切って行くと坂があり、その近辺は林が沢山残っていた。坂の上から坂の下が見えるので一旦止まって川の位置を確認し、一気に下っていった。下り切るまで3回曲がるので3曲がりと呼ばれる坂を下った後、再び住宅地に入った。
裕子の家は川の傍の駄菓子屋の前にあった。伊藤と表札があるのですぐに分かった。周りの家と比べても決して大きくない、いや、小さかったが造りはしっかりしていそうな白い二階建ての住宅だった。
門の脇にドアホン付きのチャイムがあったので鳴らすと、男性の声で、
「どちら様ですか」
とスピーカーから聞こえてきたので、弘子は、
「裕子さんのクラスメートの大森弘子です」
と答えた。すると男性は、
「ちょっと待っててね」
と言って切った。それから少しして裕子が出てきて手招きしたので入った。玄関に入ると、両親の姿が見えたので挨拶した。さっきの声の主は裕子の父親だった。弘子は小学生の時も中学1、2年生の時も、友達の家に行ってドアホン鳴らして父親が出てきたのは初めてだったので少し驚いた。
玄関から見て正面左に階段があり、正面は台所だった。玄関から上がり階段を上がると部屋が2つあり、片方が裕子の部屋でもう片方は物置となっていた。裕子に手招きされ部屋に入ると、
「あ……」
と驚いた。弘子の部屋や弘子が今迄見てきた友達の部屋とは全く違っていたからだった。奥にある机の上には勉強道具やぬいぐるみが置いてあったりして、それだけなら何の違和感も無かったが、壁にはオートバイや空手等格闘技関係のポスターがはってあり、机の右隣にはダンベルがホルダーの上に並べてあったからだった。
「裕子さんって格闘技好きなの?」
弘子が聞くと裕子は、
「まあね。近くの空手道場に通ってる」
と答え、蛍光灯の紐に向かって突きを一発寸止めすると拳の風圧で紐が揺れた。今は学校の制服と色が違うだけで同じような黄色いブレザーとスカートという服装だったのでそれ以上はやらなかった。
格闘技、バイク等机以外は男子の様な部屋である事や裕子自身が空手をやっている事に驚いたが、それ以上のものが弘子の目に留まった。
「Fender Jazz Bass……?」
机の隣にダンベルが並べてあるがその更に隣には2台のエレキベースがスタンドに立ててあった。1台は弘子が読んだように、フェンダーという会社が出しているジャズベースというベースで生木にラッカーを塗った感じの高級感あるものだった。もう1台は新品同様のジャズベースと違い何処のメーカーのだか分からない古い青ボディのベースだった。裕子は弘子の注意がベースに向いたので、
「お父さんが学生時代バンドでベースやってたんでね」
と言った。そして古い青ボディのベースを手に取り、ベースの後ろにおいてある縦30cm横50cm奥行き20cm位あるベース用のアンプに繋ぎ、電源を入れてベースを弾いた。
「裕子さん、そんなに弾けるなら……、一緒に音楽やらない?」
弘子は言った。すると裕子は、
「いいよ」
とあっさりと返事した。弘子は自分から誘っておきながら少し混乱した。音楽が得意なら音楽の授業の時何で全く消極的だったんだろうか、と思った。弘子はピアノが弾けるので小学生の時から授業の時ピアノ伴奏をしたり、校内の音楽会の時にもピアノ担当になったりしていた。しかし、裕子はそんな事は全く無かった。勿論ピアノとベースという違いはあるにしろ、全く無さ過ぎた。それどころか、裕子は音楽の授業をかなり苦手にしている節が見られた。それだけにベースを弾ける事、それと音楽活動に誘ったらあっさりOk貰えた事が意外だった。
「裕子さんは音楽苦手かと思った」
弘子は正直に言った。すると裕子はベースを弾くのを止めて、
「合唱は……、どうも、ね」
とボソッと答えた。音楽の授業は半分以上が合唱で残った半分弱の更に半分以上が鑑賞で、器楽はやったとしてもせいぜいリコーダーかオルガン位なので合唱苦手イコール音楽苦手とどうしても思ってしまう。男子は積極的ではないのが少なくないので分からないが、女子は積極的にやる人が多かったので特にそういうイメージを持ち易かった。器楽が得意な裕子にとって音楽の授業はそれ程楽しいものでは無かった。実際成績も歌のテストとペーパーテストの両方が評価対象なので、平均点位だった。
"合唱は、どうも、ね"
弘子は裕子のこの一言で自分が裕子は音楽が苦手だと思い込んでいた理由を理解した。
「大森はピアノやってるよね」
裕子が再びゆっくりとベースを弾き始めて聞いた。
「う、うん。でもなんでそれを……?」
と答えた。裕子とは3年になって初めて一緒のクラスになったが一緒のクラスになるまでは存在さえ知らなかった。しかし、裕子は合唱コンクールの時に弘子がピアノ伴奏をしていたのを知っていた。勿論、この時は誰だか分からなかったが、一緒のクラスになった時に思い出した。
「合唱コンクールで弾いていたのを思い出した」
「そっか」
弘子は笑顔で答えた。1回2回やっただけで記憶に留めて貰えたのが正直嬉しかった。

 とりあえず2人で音楽活動をやる事が決まった。パートはVocalとPianoが弘子、Bassが裕子。曲は古いジャズをやって、オリジナルも書けたら入れていく、という感じでのんびりやって行こうという事になった。切っ掛けはごくありふれた日常にあった。出席番号の前後という関係から友人になり、そしてユニットを組むにまで到りそして暇さえあれば練習するようになった。

 10月━━━。裕子とユニットを組んだ時とは違い太陽は弱弱しい光で町を照らしていた。桜は少しずつ内側の葉を落し始めていた。
「やっと中間テスト終わったね」
弘子はそう言って一息ついた。3年2学期のテストの結果は冬の高校入試を占う意味もある重要なテストだった。高校入試が近いということで高校入試対策的な出題をしてくる先生が多いのともう一つは、高校入試の成否は入試試験の成績だけでなく、3年時の成績も考慮されて決まるからだった。その為、3年生は特に2学期のテストにプレッシャーを感じていた。
「裕子さん、振り返ってどう?」
弘子が聞くと裕子は、口元に笑みを浮かべただけで答えなかったが、弘子は裕子が手応えを掴んだ事は分かったので、
「私も……大丈夫」
と答えて帰り支度を始めた。
「じゃ、久し振りに練習しようか」
裕子が言うと、弘子は、
「うん」
と答えた。
 練習は弘子の家と裕子の家交互にやっていたが、裕子の家で弘子は歌う事は出来なかった。裕子の家は1階は1部屋と台所等、2階は2部屋のみの小さな家なので当然防音等の設備は無かった。一方弘子の家は父親が会社役員で音楽好きとあって裕福なだけでなく、音楽専用の部屋まで作ってしまい、その為完全防音だった。しかし、母がピアノの先生をやっている為その部屋をピアノ教室で使う事があり、いつも裕子との練習で使うことは出来なかった。その為、時々貸しスタジオで練習する事もあった。
 この日は弘子の家の音楽室は仕えなかったが本腰入れて練習しよう、という訳で貸しスタジオに向かった。そのスタジオは学校前の大通りを200m程西へ行き、駅前通りとの交差点を北へ駅の方へ向かい、駅より100m程手前にあった。そのスタジオの隣にやや大型の楽器店があり、スタジオへ行くミュージシャン達の拠所となっていた。弘子と裕子は自転車で来たので、スタジオの駐輪場に自転車を停めた。そしてまだ時間に余裕があったので隣の楽器屋に寄る事にした。
 楽器屋、田中楽器は正面はガラス張りで店内が見えるようになっていて、1階は文字通り楽器を売っていて種類も多く、エレキ、アコスティックギターギター、ベース、ドラムス、キーボード等の他に、管楽器、バイオリン等の弦楽器、等があった。内装はジャズカフェを意識したのか、四方木板が張り巡らされ、実際入ってみると生木の匂いがして心地良かった。一方2階は、楽譜、教則本、ビデオ、DVD、DTM (DeskTop Music) 機材、ソフトウェア等が置いてあり、内装は1階と異なり、床は木板だが、壁、天井は白で統一されて古風な1階とは対照的だった。因みに2階は正面入口から見て左右に階段があり、そこから上っていける。又、正面入口から見上げれば2階が見えた。つまり、店外からでも2階が見える造りになっていた。
 弘子と裕子は正面入口から入った後2階に向かった。スタンダードジャズの楽譜を手に入れたいと思ったからだった。楽譜なんて持っていなくても曲を聞いて自分達で楽譜を起こしてしまえば安上がりだが、手間が掛かるのでそれは楽譜になっていない曲に留めた。2階に行く時、正面から見て左側の階段を上った。壁には掲示板があり、そこには様々なイベントの告知、宣伝のビラが貼ってあった。一方、正面から見て右側の階段の壁にも掲示板があり、そちらはバンドメンバーの募集やQ&Aが貼られていた。
「大森、コンサートしたくない?」
裕子が尋ねた。弘子は、ビックバンドコンサートのチラシから目線を外し、裕子の方を見た。裕子は壁に貼ってある手書きのチラシを指差した。
━━━ ライブハウスONYX クリスマスライブ出演バンド募集 12月24日 18:00より ━━━
出演料24,000円の所に取り消し線が引かれていて0円、つまりタダになっていた。24,000円でもかなり良心的価格だが、田中楽器が主催する事で0円を実現したのだった。
「……」
弘子は返答に困った。やりたくないからではない、むしろやりたいからこそ困っていた。裕子とユニット組んだのだってただお互いの家で楽器を弾いたり歌ったりしたいからではなく、今回のようにコンサート会場を提供してくれる所があれば参加して自分達の音楽を1人でも多くの人に聞いて貰いたかった。しかし、それを許してくれないような状況だった。高校受験である。
 弘子は決して成績は悪くない、いや、むしろ良いと言った方がいい。しかし、志望校は進学校の桐東高校で、9月の模試の結果ではランクBだった。ランクBは合格率50〜70%、つまり合否どちらにでも転ぶ可能性のある位置だった。
「ゴメン……。返事すぐじゃないと駄目?」
弘子は両手を顔の前で合わせて聞いた。裕子は、
「別に私はいつでも。でも、すぐ枠埋まるんじゃないの?」
と答え、そのまま2階に上がっていった。弘子はもう一度チラシに目をやり、
「受験生じゃなければ……、即答だったんだけど……」
と呟き、2階に上がっていった。

 弘子は裕子と別れて家に帰った後も気分が優れなかった。帽子を取りジャケットを脱いでそのままベッドの上に横になった。
「裕子さんは……、ランクAだからなァ……」
裕子は成績クラストップを独走していた。9月の模試も学内3位で、クラスではトップ、そして志望校判定はAランクだった。その志望校は弘子と一緒だった。いや、正確に言うと、桐東高校は裕子は初めから受けるつもりでいたが弘子は裕子と親友になり、音楽やるにも同じ高校の方がいいと思ったので都立高校から変更したのだった。成績が良く、中2の頃から桐東高校一本に固めている裕子に対し、中3になってから桐東高校に変更した弘子とは差があって当然だった。その為、今は音楽の練習はやりながらも、受験に集中する事を考え、コンサートは高校に入ってから、と決めていた。
「ふぅ……」
しかし、どうしても気分が優れず溜息を1つついた。仕方ないので、先程脱いだジャケットを着て1階に下り音楽室に入った。部屋の造りは学校の音楽室のように壁や天井は防音性を持たせてある白壁で床は桜の板だった。広さは15畳で部屋の中央にカーペットが敷いてあり、そこにグランドピアノが置いてあった。弘子は椅子に掛け、蓋を開けてピアノを弾き始めた。曲目はドビュッシー作曲の月の光。
「細かいミスが多いわね」
弾き終ると同時に声を掛けられ弘子は驚いた。声を掛けて来たのはピアノの先生をしている弘子の母で、身長は160cm程と弘子より一回り小さく、髪型は長い髪を後ろで団子にしていた。顔つき等は弘子に似ている、というか弘子が母親似だった。
「何か悩みがあるようね、話してみなさい」
母が言った。裕子と楽器屋行って来ると言って楽器屋行って帰ってきてから様子がおかしかったし、悩みがあったりするとその事を忘れようと無我夢中になってピアノを弾くのは小さい頃からの癖で、そういう時は決まって小さいミスをしていた。弘子はそれ程感情を表に出さないがピアノを弾いたりするとそういう感情が、喜怒哀楽が全て音となって出て来てしまう。
 弘子は話し辛かった。進学校への受験が近い中でコンサートをしたいだなんてそう簡単に言える事ではなかった。受験さえなければもう答えは決まっているが、あるものは仕方が無い。しかし、今折角コンサートをするチャンスがあるのをみすみす逃す訳にもいかなかった。特にタダで出演できるイベントには……。
「実は……」
弘子は、やっとの思いで口を開いた。そして今の気持ちを話した。クリスマスに田中楽器主催のコンサートで出演者を募集していてそれに出演したい事。しかし、高校受験の直前にコンサートの為に練習していて合格出来るのかどうか分からない事……。弘子は終始俯いていた。
「弘子は出たいんでしょ?」
母は弘子が話し終わるとそう聞いた。弘子は、
「うん……。でも……」
と答えたがそれ以上言葉が出なかった。母はそんな弘子の肩に手を乗せ、
「弘子がやりたいようにやりなさい。高校受験がって言うけど、それを諦める理由にしても後で辛いだけよ。コンサートやって、それで高校も合格しなさい。それだけの能力はある筈よ」
と厳しくも優しく言った。弘子は顔を上げて、
「え……? じゃあ、音楽やって……いいんだね」
と聞いた。母は、
「やっちゃいけないなんて一言も言ってないわよ」
ときっぱりと言った。弘子は、
「あ……、ありがとう……」
と頭を下げた。弘子は普段から母に"勉強しろ"と言われる事は無かったが6月に桐東高校を受験したいと言った時は、"懸命にやらないと合格しない"と言われた。そういった経緯があった為に普通の音楽活動ならともかく、コンサートの為の練習をする事は反対されると思った。母はコンサートに今でも時々出演しているし、ピアノ教室の生徒がコンサートや発表会が近くなると、そこにベストを持って行くような練習方法に切り替えさせる。その為練習時間が増えることを充分に知っている。つまり、弘子がクリスマスライブをやるとなるとそっちに時間を取られる事になる事は当然分かっていた。しかし、それでも反対しなかった。弘子は拍子抜けしてしまったが、正直嬉しかった。
「じゃ、解決ね」
母はそう言ってドアを開けて出て行った。ドアを閉める直前に再びピアノの音が聞こえて来た。
「今度の音には迷いが無いわね……。あなたはやる時はやる子よ。大丈夫、自分の力を信じなさい」
母はそう呟いた。

「裕子さん、コンサートOkだよ。今日申し込みに行こう」
次の日、学校で弘子は裕子に会うなりコンサートの件の返事をした。裕子は表情を変えずに、
「うん、分かった」
と返事した。2人は放課後、田中楽器に行った。受付は2階のレジでやっていたので、2人は白いレジに行ってライブハウスONYXでのクリスマスライブ出演希望の件を言った。すると青いエプロン姿の店員が、
「昨日の夜から今日、結構申し込みがあったから……、どうだったかな……」
と言ってファイルを出し、確認し始めた。
「なんせ隣がスタジオBayでしょ。そこで練習した帰りにドンドン申し込んで来たんだよね。何せタダだから……」
店員はファイルを見ながら申し訳無さそうに言った。それを聞いて弘子は申し訳なく思った。昨日チラシを見て、コンサート出演の返事を保留にし、その後スタジオに行き家に帰った。そして母に悩みを打ち明け気持ちの整理が付いたのは午後7時過ぎだった。その時裕子に連絡していればもしかしたら裕子は申し込んだかもしれない。いや、裕子は出演枠が埋まる事を最初に予測していたから申し込んでいたに違いなかった。連絡しなかったばかりに、クリスマスライブのチャンスを潰されてしまうのでは後悔してもし切れなかった。
「裕子さん、ごめん……。折角楽しみにしてたのに……」
弘子は裕子に頭を下げた。裕子は、
「出るも出られないも、運がある。大森のせいじゃない。受験前だからすぐに返事は無理なのは分かっていた」
と答えた。それを見て店員は、レジの隣にある受話器を取り、2、3言話した後、
「ちょっとそこで待っててください」
と言ってファイルを持って1階へ下りていった。そして約10分後、小太りで髭を生やした人、店長を連れて来た。店長は、
「これに記入して下さい」
と言って、申し込み用紙を渡した。
「まだ枠残ってたんですね」
弘子が聞くと、店長は首を振って、
「いや、本当は締め切ってたよ、今日の午前中にね。チラシ貼り替えてなかったな」
と、正面入口から見て左側(レジ側から見て右側)の階段の所にある掲示板をチラッと見て言った。そして、申し込み用紙の左上を指して、
「あと1バンド特別に入れられないかONYXさんに頼んだんだ。佐々木の話聞いたら、何とかしてやりたくなって、な」
と答えた。申し込み用紙の左上にはONYXのFAX番号と受信時間が印刷されていた。
「あ、ありがとうございます」
弘子は頭を下げて礼を言った。すると店員佐々木は、
「それに伊藤さんは今年の始めにフェンダーUSAのジャズベ(ジャズベースの事)買ってくれたし、あれ、高かったからなァ……、20万だったような」
と付け加えた。裕子は、
「あれ、凄く弾き心地いいです」
と言って頭を下げた。弘子と裕子が佐々木と話している間に店長は階段の掲示板の所に行き、クリスマスコンサートのチラシを出演者募集のものからチケット販売のものへと貼り替えていた。

 帰り道。2人は自転車で平行に並んで走っていた。2人ともサスペンション付きのマウンテンバイクに乗っていたが裕子のは更にオートバイと同じディスクブレーキ付きのものだった。裕子の家はそれ程裕福な感じでは無かったが、ベースにしろ自転車にしろ、いい物を持っているので、弘子はなんかのプレゼントで買って貰った物だと思っていた。
「本当に良かったね」
弘子が言った。裕子は、
「まあね。出来ればラッキー位に考えてたけど」
と答えた。弘子は1つ疑問を持った。そういえば、裕子はクリスマスライブ出演のチラシを見た瞬間に弘子を誘って来た。裕子も桐東高校を受験する以上、いくら模試の評価がランクAだったとしても、この時期にコンサートをしたい等と言ったら親に反対されるのではないかと。又は、弘子と一緒に行く前に既にこのコンサートの事は知っていて、前記の事は解決した後に弘子を誘ったか、そのどちらかだと思い、少し聞き辛かったが聞いてみた。すると裕子は、
「うちは……、進路には口出ししないからなぁ……。父さんに言ってみたら、"流石に15でコンサートは出来なかったな"って言われたよ」
と答えた。弘子はそれを聞いて、
「悩んでいたのは……、私だけか」
と小さく笑って言った。

 クリスマスコンサートに使う曲が全て決まったのは10月の終わり。全てスタンダードな名曲にする為にした。時間は1バンドに付き準備片付け時間を含み30分と決まっていたので曲数は5曲とした。そして当日の服装は、最近ではコンビニの店員でもクリスマス用の上着を着て帽子を被っている位なので、自分達も赤い服装に赤い帽子にしようという事で決まった。
 曲は2人でアレンジして、Vocal、Piano、Bassで出来る形にした。それが終わったのが11月の終わりで思ったより時間が掛かった。頭の中でフレーズを思い浮かべて楽譜にしても実際音にしてみるとしっくり来なかったりして作り直す、とかそういう事の繰り返しだった。
 それらが全て終わって初合わせ、弘子の家で初合わせになった。弘子の深く張りのある声とピアノの音が調和し、裕子のベースの音がしっかりと弘子の歌声とピアノの音色を支えた。裕子はこの時、顔には出さなかったが驚いていた。今迄弘子の家やスタジオで音合わせしたりしていたが、その時弘子は本気で歌っていなかったのだ。本気出さずともその人の持っている声の張り等は出て来るので弘子の歌の才能は感じてはいたが、"ウチのクラスでは一番"というレベルだった。しかし、今の弘子は少なくても"ウチの学校で一番"だと思った。
「大森、今迄本気で歌って無かったね」
演奏が終わってから裕子が聞いた。弘子は、
「どうして?」
と聞くと裕子は、
「今迄とは声の深みが全く違うよ」
とだけ答えた。弘子は確かに今迄の練習は目的も無く2人で音合わせをしていた感じだったので、きちんと押さえるべき所は押さえていたが、音合わせ的な歌い方をしていた。そこに裕子が気付いたことに対して裕子の才能を感じた。裕子は自分で歌うことは苦手でも、器楽や、他の人の音や声を聞きそれを分析したりする事は得意だった。

 12月24日、ライブ当日……。会場のライブハウスONYXは田中楽器とは線路を挟んで反対側にある道を駅よりも先50m程の所にあり、田中楽器からは正味150mと少し離れていた。建物は黒い箱そのものといった感じで1階が受付と倉庫、2階は楽屋で、道路側に窓は無く、代わりに2階部分にLive House ONYXとネオン管で作られていた。建物の隣には2段構造の駐車場があり、1階に5台、2階に10台駐車出来た。そして地下1階がステージとなっていた。客席は100席以上あり、1階の真下から駐車場の下まであった。
 その会場は既に満席だった。特別に入れてもらった弘子と裕子のユニットを入れて9グループ出演するが、出演順で4番目で弘子達の前に出演するDEATH FRAMEというバンドが人気があり、そのバンドのファンがかなり多かった為だった。DEATH FRAMEで盛り上がった後の演奏という事で弘子は少し緊張した。
 2人は、というより出演9グループは2階の楽屋で待機していた。
「じゃ、私が先に着替えてくるよ」
裕子はそう言ってトイレに行った。弘子と裕子はコンサート時の服装は赤にしようと決めたが、お互いにどんな格好をするかは当日のお楽しみとしておいた。裕子の後に弘子が着替えた。弘子は赤いベレー帽に雪をイメージしたボンボン付きの赤いコート、そしてコートの内側は白いシャツの上に赤いセーターを着て、下は赤のミニスカートに白いブーツだった。一方裕子は赤いシルクハットに赤いYシャツ、ネクタイ、そしてブレザーにスカート、そして靴下も靴も赤。全赤一色で揃えてきた。
「大森かわいいじゃん」
裕子が言うと、弘子は照れ笑いをした後、
「裕子さんの全赤も凄いよ」
と答えた。

 クリスマスコンサートが始まり、まず最初のバンドの演奏が始まった。ライブの様子はテレビカメラで撮影され、楽屋に置いてあるテレビで見る事が出来た。弘子と裕子は椅子に掛けて実際のライブの様子をテレビで見ていた。そして暫く後……、DEATH FRAMEの演奏が半分位まで行った時、係員の人に呼ばれたので地下のステージ傍に下りていった。2階のテレビで見ていた時もDEATH FRAMEの盛り上がり様は凄いと思っていたが、すぐ傍で聞くとDEATH FRAMEの演奏と観客とが一体になっているのを肌で感じた。
 10分後、DEATH FRAMEの演奏が終わり、彼らはサッと片付けして歓声が上がる中引き上げて行った。それから弱照明以外の照明が落ち、放送が入った。
「続きましてはナンバー5番、大森弘子さんと伊藤裕子さんのユニットです。用意お願いします」
弘子と裕子はユニット名を考えていなかったのでこのような紹介になった。弘子は、
「今度はちゃんと名前考えないとだね、じゃあ行こうか」
と言った。裕子は、
「ああ、そうだね」
と答え、フェンダーのジャズベースを肩に掛けた。準備と言っても弘子は会場のピアノを借り、裕子はベースからシールドケーブルをベースアンプに繋ぎ音量を合わせるだけなのですぐに終わった。弘子が席に着き軽く手を上げて裕子に合図した。裕子はそれを見て自分も準備完了したという合図を送った。弘子は裕子からの合図を確認すると、鍵盤の上に指を置き弾き始めた。続いて裕子のベースも乗る。DEATH FRAMEの余韻でザワザワしていた客席は静かになった。そしてイントロが終わり弘子が歌い始めると同時に照明が灯った。

 曲は、ナットキングコールの"もみの木(O Tannenbaum)"のカヴァーから始まった。


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